Diary 浅見帆帆子の日々

March 2012

Vol.2

 

 

 NPO法人「School Aid Japn (以下SAJ)」の活動で、2回目のカンボジアに行ってまいりました。

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2回目の22222222 カンボジアは、3年前に来たときよりも車の数が増え、夜も明るくなっていました。
大きな建物、外資のレストランなど、国が成長していくのをリアルに感じます。

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今回のカンボジア訪問の一番の目的は、
SAJのお世話で、昨年から私の里子になってくれた「タン・ヴィサール」君に会いに行くことです。


SAJが運営する孤児院「夢追う子供たちの家」に到着。

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2012‐03-02-03.jpg みんながお出迎え


私の里子、「タン・ヴィサール」君、やっと会えました。
数ヶ月おきに、手紙と絵が届きます。
手紙には、いつも「僕のママへ」と書いてあって、照れます^^

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 1組に1人通訳がついて、
一緒にお昼ご飯をいただきます。
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 胸につけいる将来の夢には「Soldier (兵士)」とありました。これはポルポト政権の影響?兵士ってなんだかちょっと・・・・・・
と思って通訳さんに聞いてみると、おじいさんが軍人さんだったからだという。見たことのある職業の種類が少ないので、
身近にいた人の職業を上げている子も多いらしい。「飛行機が好きならパイロットは?」なんて、「兵士」というものから
気持ちをそらそうとしたり・・・・・・おかしいのは、「うちの子には、こういう仕事についてもらいたい」というような親の勝手な
エゴがすでに芽生えていたこと(笑) それぞれの里親が、みんな「うちの子が一番」という目で里子を眺めているのが
ほほえましいところでした。

 

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ヴィサール君は、
お兄さんと弟も一緒に
孤児院に引きとられました。
兄弟が一緒だと、
寂しさが薄らぎそうで、
ホッとします。
成績は学年で1番だそう。


 お土産に、「レゴ」を持って行きました。日本人にも人気がありますが、カンボジアの子供たちにも大人気でした。
 はじめは使い方のわからなかった子供たちも、家をつくったり、飛行機をつくったり・・・個性が出ていました

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 ヴィサール君には、飛行機ができるレゴセットをプレゼントしました。説明書を見ると、かなり細かい・・・・・・やはり末っ子は腕白で
まず自分が手を出したがります。ヴィサール君とお兄さんは、弟がわからなくなるまでジーッと眺めて手を出さず、難しくなると
教えてあげながら進めるという・・・・・・かなり優しく賢い感じがしました(親バカだなあ)

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完成~♪


 学校の補習授業を見学しました。

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2012‐03-02-54.jpg 微分、積分!?
思っていたよりずっと難しい
数学をやっていたので
驚きました。

でも、教科書などの教材不足で、小学生レベルから突然この難しい内容になってしまい、
ついていけない 子供も多いそうです。
英語の授業では、間違えた文法を教えている先生もいました。
でも、先生の基準が低いのも仕方ない・・・・・・英語の勉強ができるだけでもまずは!ですよね。
 



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成績優秀で、高校入学を果たした、
スレーノイちゃんに、
お祝いのプレゼントを渡しました。
 

歓迎として披露してくれる伝統舞踊の数々も、レベルアップしているようでした。

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SAJ代表の渡邉美樹さんと。
数年前に渡邉さんからカンボジアのことをお聞きして、
孤児院のことを知りました。

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SAJが運営する農場も見学に行きました。

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カンボジアの中でも貧しい地域の土地に、収穫できる作物を研究中。

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 水問題が解決していないので、収穫できるものは少しのようです。
失敗を繰り返しながら、ちょっとずつ進んでいます
 

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カンボジアだけに「カボチャ」は
育っていました。

ひまわり、トウモロコシ、レモングラス、落花生なども収穫できそうです。

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農場で働く現地の方が暮らしている小屋
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専属でずっとついてくれた通訳のソターさん。

農業に必要な水を確保するために作った貯水池。
昨年のカンボジアの水害で、川から天然のなまずが流れこんでいました。
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ふと足元を見たら、、ガラスの球が落ちていました。
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 観光で、プノンペンから車で1時間半にある「ウドン」の町へ行きました。1600年代~1800年代半ばまで、カンボジアの
首都だった町です。ベトナム戦争で、アメリカ軍に広範囲で爆撃を受け、1977年に、ポルポトの率いるクメールルージュ党に
よって壊滅させられました。 かつて、日本人の町もあったそうで、「うどん」の語源になったという説もあります。
 ガイドをしてくれたり、脱いだ靴を守ってくれたり、お供えの蓮を売って生計をたてる子供たちもたくさん。

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途中にあったハスの池
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お猿さんがいっぱい

頂上からの景色。
かなり広範囲に荒野でした・・・。
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SAJで通訳をしてくれていた、チャンタイさんのご自宅に遊びに行きました。
プノンペンの近く、日本の感覚でいうと、新興住宅地のような場所でしょうか・・・。
家のまわりをお散歩して、人々の生活をほんの少しのぞかせていただきました。
 

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←ゴミや瓦礫が落ちている道で、
裸足で遊ぶ子供たち
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 生まれてはじめてバイクに乗りました。
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 里子たちの手紙にクメール語が書けるように、
 教科書を買いました。

 全体を通して感じたことは、とにかく「ボーっとしている男性が多い」ということでした。
 東南アジアにはよくあることですが、男尊女卑の歴史が長く、働くのは女性の役割・・・・・・そのあいだ男性は、家を
片づけるわけでもなく、寝っ転がったり、ご近所さんと話していたり、その「なにもしていない男性」が、とにかく目につく
のです。東南アジアでよく目にする、ボーっと外を眺めて座っている姿です。たとえば、家のまわりに落ちているゴミを
少しまとめるだけで、部屋のなかを少し整頓するだけで気持ちがさっぱりし、なにかが上向くのになあ・・・という考え方は
ないのかもしれません。

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そんななかで、子供たちだけが元気。
夕方、学校から子供たちを追って、
自然に走りだした私たち。

 

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  「3丁目の夕日」のような、いいシーンでした(笑)
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空港で。
バイバイ、またね。
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2012年3月 浅見帆帆子

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