Diary 浅見帆帆子の日々

July 2011

Vol.1

  東北沖大地震の被災地をまわってきました。
本当に・・・本当に……聞くのと見るのは大違い。
まだまだ瓦礫の山です。
原発のニュースばかりが目立つようになりましたが、
このなかで暮らしている人たちが、今日もいるのです。

陸前高田市

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市役所のなか・・・・・・
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室内です・・・・。
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3階~4階の高さの波の壁が襲ってきたという、
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屋上からの眺め
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死んでも、せめて見つけてほしいから、
最後は、屋上より上の
鉄柵に囲まれたあそこに逃げよう、
と逃げながら話していたという職員の方々。

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鉄が曲がるほどの力、
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さぞ、恐ろしかったと思います。
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オープンして、一度も使われなかった野球場
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どこまでも続く瓦礫の山
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瓦礫が撤去されたとしても、
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この地面のどこに家を建てればいいのでしょうか……。
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  ひしゃげた車の向こう側では、学校の校庭で子供たちが元気に遊んでいました。この校庭で、8月末、1万人以上を集めるイベントを企画中だとか。まだまだ復興の見込みはたたなくても、現地の商店の方々にもう一度お店を開いてもらいたい、希望を持ち続けてもらいたい、という思いが込められているそうです。このイベントを企画されている陸前高田市の参与である、ワタミ(株)の渡邉美樹会長は、私が支援しているNPO団体「SAJ」の理事長でもあり、私もこのイベントを応援させていただきます。近隣の方々、関東以南にお住まいの方も、これを機会に、ぜひ陸前高田市を訪れてみてください。
 また、この場を借りて再度お礼を!! 私のサイトに4月末までに200万円近くを寄付してくださった多くの皆様、改めて、本当にありがとうございました。6月のHohoko Cafe での寄付金と合わせ、SAJが迅速に活用してくれたことと思います。

DSC06544-1.jpg 夕日がとてもきれいでした。
空が燃えていました。

 
 南三陸町では、震災当時、志津川病院にいらした職員のSさんからお話をうかがいました。
 津波が襲ってきたとき、入院患者は107名、そのうち行方不明者は60人ほど。3階まで逃げても間に合わず、隣の病棟に移り、最終的に5階の床まで浸水しました。真っ暗闇のなか、酸素や有害ガスのもれている(だろうと思われる)音が聞こえているなか、ナースステーションで身を寄せ合って暖をとったと言います。翌日、いつまた津波がやってくるかわからない状況の中、命がけで自衛隊の方々が食べ物を届けてくれました。
 4月半ばに建てられた高台の診療所には、一日200人近くの患者がやってきます。手術が必要な人は別の場所に輸送するしか方法のない簡易診療所で、いまだに断水状態です。診療所の隣には、ボランティアの方々の大きなテント、近くの舞台ではAKB48の数名がダンスを披露していました。表面は楽しそうに見えても、直後のショックは薄らいだように見えても、住民の皆さんは、まだまだ緊張状態だと言います。

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南三陸町は、陸前高田市よりも、
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撤収作業が進んでいません。
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志津川病院
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その向かい側。
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空が大きく感じる
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左の瓦礫と、右の森が対照的
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炎天下で、自分の敷地を、
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黙々と片付ける町民の方々。
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水門や堤防は破壊。小屋にはブイがからみついています
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プレハブのガソリンスタンド
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 赤くなっている部分まで、
波が来ていたんですね……。
↓   ↓   ↓

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 途中、世界遺産の平泉「中尊寺」を訪れました。敷地内には、金色堂をはじめ、薬師如来や弁天様などを祭った多くのお堂が並んでいます。光と緑の中を歩き、穏やかで静かな雰囲気に包まれると、この場所が世界遺産になることが、どれだけ東北の方々を喜ばせたことだろう、と思いました。

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光が本当にきれいでした。予報は雨だったのに、
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晴れてよかった^^
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夏の大祓いの輪がありました。
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紅葉の一枚一枚が光を通して……すごい世界でした。
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東北の道は、
見渡す限り緑の田園風景でした。
ちょっと、日本ではないような川の風景も。
「ワニとかいそうだな……」と言ったら、
「いないよ!」
と即座に突っ込まれました。

  一番最後に石巻市を訪れました。
  全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」のコーディネーターであるSさんと、仙台中央代表のナースであり、震災直後から現地入りされているNさんと話をさせていただきました。
  話をすればするほど、国(やそれに付随する機関)と任意団体やNPOなどの連携がうまくいかず、その原因のほとんどは、「どこに所属しているか」「どこが先にやるか」というような、「そんなこと、どっちでもいいじゃないか!」と激怒したくなる古い体質や意味のない規則が原因だと感じました。その人がどこに所属していようと、どの町から救われようと、少しでも早いほうがいいに決まっているという、国民の誰もが苛立った「あの状況」です。ですが、結局そんなことに文句を言っている暇はなく(文句を言っても変わってくれることはないので)、淡々と目の前のできることをしていくしかないのです。キャンナスは、瓦礫の撤去から、トイレや汚物の掃除、現地の方々のケア、情報の交通整理など、国の機関がしないこと、同時に「現地の人に必要とされていることはなんでもさせていただいている」と話されていました。
  キャンナスに登録している人(ナース以外でも登録可)は全国で3000人を超えましたが、その数は、震災から日が経つにつれて減少しているそうです。任意団体のために援助が受けられず、資金の問題も深刻です。
 被災した小学校の避難所も見学させていただきました。

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音楽室がキャンナスの本部、とても暑いです
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当初は小屋の屋根が見えないほどの瓦礫の山でした
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工夫して、ハエ取り
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DSC06611.JPG この避難所では、
今でもトイレはおむつの上です。
当初、便器のつまりを手でかき出し、
この衛生状態までもってきたのは、
キャンナスの皆さんの力です。
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DSC06614.JPG 地震の起こった「2:46」で
とまった時計……。

 現地の要望を受け、絵本を中心に、200冊ほど本を寄付させていただくことにしました……現地での状況、これから先の途方もない復旧作業を思うと気が遠くなり、「この本くらいが、一体なんの役に立つのか」と茫然とした気持ちになる一方で、だからこそ、「自分にできることでいい」と改めて強く思いました。本当に自分にできること、それを長~く長~く淡々と続けようと思うのです。同行した私の仲間たちも、それぞれの分野で、今も支援を続けています。
 東北の方々を思うことは、自分の生活で暗くなり、消極的になることではありません。むしろ、それぞれが今いる場所で、自分の生活に十分に幸せを感じること、日本の未来を明るくイメージしてそれぞれの夢に向かうこと、そのワクワクした気持ちをあふれさせて東北を支援することだと思います。今の生活に幸せいっぱいの気持ちを味わう人がたくさん集まると、その意識の力は東北にも飛び火します。
 今、「この地震はなんのために起きたのか」をテーマに新刊を書いているところです。現地の方々が、一日も早く希望を取り戻すことができるように、心からお祈りいたします。 キャンナスHP http://www.nurse.gr.jp/ 
 


2011年7月 浅見帆帆子

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